東日本大震災から今日で4年 あの日を忘れない為に
2011年3月11日
前日行われた東京でのログハウスミーティングから帰省し
松山空港へ降り立って震災を知った。
さっきまで一緒に笑っていた「福島」「宮城」の友人の顔が浮かんだ…
3月14日 東北へ行くことを決意した。情報収集、経路調査、準備に思わぬ時間がかかった。
灯油を届けることにした。
日興石油 一色社長 タンクローリーと灯油2000ℓを提供してくれた。(右)
和田真建築 和田社長 支援物資の提供と同行を快く引き受けてくれた。 (左)
「緊急車両」登録取得に苦労した。
3月23日出発の朝。地元の友達も駆けつけてくれた。
隙間なく詰めるだけの物資を皆んなで積み込んだ。
東北に近づくにつれ、事の重大さを実感し始めた。
ガソリンスタンドでは『緊急』のステッカー車両は優先してくれた。使命感が沸いてきた!
栃木県からの福島〜宮城 高速道路沿いの家々は全て屋根瓦がずれ落ちていた。
ブルーシートが痛々しい!
高速道路の段差もひどくなる!
消防、救急車、自衛隊、車両ばかり! 九州、広島などの県外ナンバーが車列をつくる…
宮城県
最初に向かったのは宮城県石巻市
石巻中央公民館でみかけた子供の遊ぶ姿。
少し心が救われた。彼のうしろに映る小山すぐ裏は、あの驚愕の光景が…
凍えそうな避難所へ愛媛の暖かい灯油を届けた。
次の避難所へ
途中、「新居浜市」の文字が目に飛び込んで立ち寄った。
この地で愛媛県人と出会う! お互い嬉しかった!!
小学生の子供が、水を汲みに訪れた。
笑顔で対応する彼らを見て勇気付けられた。すでに1週間も給水していると聞いた。
後ろにVT中継車が見えるが、
新居浜市水道局のボランティア活動はニュースでは取り上げられていない!
この後、多くの芸能人が訪れてTVの話題となった。
ニュースとして伝わらない地味なボランティア活動が、
そこらじゅうで行われていた。
塩釜港経由で福島県いわき市へ向かう
スタンドはどこも長蛇の列
コンビニから食料が消えていた。
東京を過ぎた頃、各パーキングエリアでも見受けられた現象!
松島近辺では物資も自衛隊もまだ見かけない。
地元の有志、消防団が自力で作業していた。
福島県
いわき平競輪場が支援物資の拠点だった。
物資は豊富にあるのに各避難所への輸送手段,、車両が確保できていない現実を知った。
国>県>市>自治体 連携がうまくいっていない現実。放射能汚染の風評…
灯油の配達をかって出たが、放射線量の問題で引き止められた。『愛媛の人に迷惑をかけれない…』
そしてドラム缶へ…
各所で地震と津波に耐えたログハウスを知った
帰宅の道中
西日本まで来ると、平穏と豊かさに かなりの違和感を感じた。同じ日本と思えなかった!
四国に入り、吊り橋や高架橋が続く構造の高速道路に改めて危機感を感じた!
行政よりもまずは、地域の連携と、自助、共助、の大切さを実感した!
まだまだ混乱の最中、届いた手紙。現場で対応する いわき市職員さん達の顔が浮かんだ!
そなえの大切さを今一度わすれまい!